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後藤田

 昼飯どきに、会社の近くをふらふらと歩いていて見つけた、はじめての店に入った。外観は古くて地味な感じで、中華料理屋のような、洋食屋のような、そのどちらでもない、昔ながらの(?)定食屋のような。

 店内は、混んでいるというほどではなかったが、先客が何組かいた。何組かといっても、自分もそうだが、 ひとりで来ている客が多かった。4人がけの席に案内されて、すわった。混んできたら、相席になるのかもしれない。

 壁にメニューが貼ってある。どれも手書きだ。黒のサインペンで書かれた文字が、太くて、力強い。

 本日のおすすめ、後藤田正成、880円。

 正成は、まさなり、だろうか、まさしげ、だろうか。

 ただなり、かもしれない。それとも、ただしげ、か。

 小ぢんまりした店だが、メニューはかなり多い。端から順番に、飯吉、牧、神田、長船、有賀、松原、馬場園、三田、鬼沢、連城、益子、木佐貫……定食だけでもこれだけある。本日のおすすめと同じく、どれも880円。かなりリーズナブルだ。

 ランチタイムでも、一品料理も注文できるらしい。フジシマ、オノダ、タワラヤ、ウチノ、フカツ、シバハマ、カガヤ、ウノ、オノ、サノ、ヤノ……料理の幅もかなり広い。

 味も悪くなかった。というか、美味しいほうではないかと思う。案の定、後から客がどんどん入ってきて、相席になった。

 近々また来ようと思う。

みかん

 やっぱり、みかんだな。冬は。さむい。スーパーで買ってきた、みかんを食べている。みかんを食べると、手がきいろくなる。洗濯物がたまっている。洗濯を、しなくては、と思っている。紅茶も飲んでいる。カフェインのない紅茶だから、眠くなくならない。夜に、ふつうの紅茶や、コーヒーを飲むと、眠くなくなってしまう。洗濯機がまわっている、音が聞こえる。いまはこうして、パネルヒーターにあたっている。あたたかい。あたまがぼーっとしている。みかんの中にも、宇宙があるのだろうか。ふたつ目のみかんを、食べている。ふたつ目の宇宙を、食べている。こうしているあいだにも時間がすぎている。いま、洗濯機から洗濯物を取りだして、部屋に干し終わったところだ。このみかんを作ったのは、どんな人だろう。こんなおいしいみかんを作れるのは、たいしたものだ。晴れた日にはみかん畑へ出て、雨の日には本でも読んで……晴耕雨読、か。せいこううどく、とひらがなで書くとヘンな感じがする。きっと、ものを考えるときは、ひらがなではなく、漢字で考えているのだろう。

読書の入口

もっと本を読みたい人へ:まずは本を開くことへの「精神的ハードル」を下げてみよう | ライフハッカー[日本版]

 

 まいにち、仕事を終えて疲れたからだをひきずりながら家にたどり着き、さあ、本を読もう、という気にはなかなかならないものだ。本を読むにはきっかけが、やはり必要だ。読まない、から、読む、へ自然に入っていくにはどうしたらよいか。はじめの1ページを、1行を、読みはじめさえすれば、いや、何も読まなくてもひとまず本を開いてしまいさえすればよいのだが、それまでが一苦労だ。

 どうしたらよいか。

 おもいきって、玄関のドアを本にしてしまえばよいのではないか。家に帰ってきてドアノブに手をかければ、そこからもう読書がはじまるわけだ。帰宅、即、読書。所要時間ゼロ。精神的ハードルも物理的ハードルもゼロ。家の中に入ることがすなわち本の中に入ることになる。文字どおり、本の中に住んでいる。自分の本の主人公として自分の本を読んでいる主人公が自分自身ということだ。

油絵

 玄関に、何年か前に初めて海外に行ったとき、日本に帰る日の朝早い時間にホテルの近くを散歩していると自作の油絵を道端に並べて売っているおじさんがいた。もしかしたら自分ではなくて知り合いの描いた油絵を売っていたのかもしれない。ヨーロッパだったので、10ユーロだったか、15ユーロだったかで、小さい油絵を買うことにした。おじさんは油絵をコンビニの袋みたいなくしゃくしゃのビニール袋に入れて渡してくれた。ビニール袋はコンビニの袋ではなくて、ただの白いビニール袋だった。そう思うのはイタリアではコンビニに一度も入らなかったからだ。そこはイタリアだった。だった、というか、今もそこはイタリアだ。初めて海外に行ったのがイタリアだった。初めてイタリアに行ったとき、日本に帰る日の朝早くにホテルの近くで油絵を売っていたおじさんから買った油絵が、今は自宅の玄関に飾ってある。